【提言】企業収益性向上のために、業務生産性向上を狙え




ホワイトカラーの生産性向上を狙った働き方改革に関する取組みは、日本政府の強い後押しもあり、ある程度浸透してきていると思われる。しかし、この働き方改革は一体何をゴールに取り組んでいるのだろうか? と思われる節も多い。そんな中、日々気になっていることは、

  • 少子高齢化を迎えるにあたって人材の数が足りないと言いながら、生産性向上活動においては時間の削減ばかり注目し、
  • 「期待される成果と投入時間のバランス」で観察していないので、業務を人数に置き換える定量的に表現に至っておらず、
  • 結果、企業の収益性向上にまで踏み込んだ生産性向上活動を実行しているとは言い難い

生産性とは「分子÷分母」で表現するのだが、どうも、「分子」に対して明確な定義を持たないまま投入時間の低減(対象:分母)だけに取り組んでいる節が多い。業務そのものに対する成果(対象:分子)の定義が曖昧なので、結果的に時間経営資源が回収されたとしても、その回収された時間経営資源を何に? どう? 活用するべきなのか? 分子の議論にまで至らないのでその回収された時間経営資源が元に戻ってしまうことが容易に予想できる。もしくは、人間の業務をロボットに置き換えたとしても、そのロボットのメンテナンス費用が嵩張り業務の生産性が向上したように見えるものの、企業の収益性向上にどこまで最適に貢献できているのかが疑問に感じる。

一般的に、生産性向上に取り組む際は分母の低減に臨むことが多い。しかし、ホワイトカラーに期待されていることを「成果を創ること・出すこと」と定義するならば、全ての業務における時間経営資源の低減を狙うことが生産性向上活動と言えるのだろうか? 乱暴な言い方をすると、時間をかけてでも成果の質に拘る会議があってもいいのではないだろうか? なぜ、会議は全て決められた時間内で終了する必要があるのだろうか?

以上を振り返ると、そもそもその時間を投入した先にある成果の定義が曖昧なまま、時間経営資源の良しあしを語っていないだろうか?

企業の収益性を向上させるために個々が保有している時間経営資源を最適化させるのであって、その時間経営資源を効率化させるとその先に企業の収益性が向上するというパラダイスな世界がやってくるのではない。

狙いたいゴールは同じでも取り組む順序を間違えると、行きつくゴールは異なる。

物事には原理原則が宿っており、期待するゴールに到達できない場合は、この原理原則を守れていないことが多い。

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